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文系大学生が新卒フリーランスになり、海外ノマドを実現するまでにしたこと

↑大学入学時の写真です。恥ずかしいけど初公開。
この記事では、僕の全てを曝け出します。

 

2021年10月に、パソコン1つで東欧ジョージアへ。
 

これが、僕が「海外ノマド」になった第一歩でした。
 

大学3年の終わりにWeb制作の独学を始め、卒業後はそのままフリーランスに。
 

「就職したくない」というただのひねくれた理由で、完全勢いで独立を決意しました。
 

卒業してそのまま独立なんて、すでに稼げてたんじゃない?と思うかもですが、全然そんなことはなく、何か突出したスキルがあったわけでもありません。
 

高校まではサッカーしかしてこなかったし、大学も法学部法律学科。授業はうまくサボりながら、居酒屋でアルバイト。休みの日は友達と飲みにいくか、パチンコに行く。
 

そんなごく普通、いや、普通以下の大学生でした。
 

父親からは、「就職しないのは別にいいけど、実家を出ろ」と言われ、格安宿を転々としながら、「どうすれば案件受注できるか」をひたすら考え続けました。
 

当時は翌月の生活費を稼ぐのに必死で、貯まっていた奨学金50万円を切り崩しながら生活。
 

飛び込み営業、テレアポ、メール営業、SNS運用、ブログ、チラシ配り。
 

思いついたことは全てやりました。
 

あの時はモチベとか関係なく、ただ生きることに必死だった。

あの時はモチベとか関係なく、ただ生きることに必死だった
 
こんなに動いてるのに、全然成果が出ない。貯金もどんどん減っていく。
 

この先の将来が不安で、「やっぱり就職した方が良かったのかな…」なんて思うこともありました。
 

今思い返すと、当時の自分は常に何かに追い込まれていた気がします。
 

もしかしたら周りから見る僕の印象は、「サブスクWeb制作で順風満帆に進んできた人」と思っているかもしれません。
 

でも、ここで本音を書かせてください。
 

当時の自分は、極度の不眠症でした。

なぜか夜、眠りにつけない。友達もいないし、毎日が孤独。定期的に色んな不安が襲いかかってくる。
 

親に心配されないよう、「全部順調だよ」と偽りの自分を見せ続ける。誰にも本音を喋れない。
 

ベッドに入ると、なぜか自然と涙が出てくる。
 

そんな日々を過ごしていました。
 

でも、「パソコン1つで自由に働きたい」という目標だけは、何がなんでも実現させたかった。そして、親を安心させたかった。
 

この気持ちだけは1回もブラさず、毎日全力で走り続けました。
 

そしてある日、インスタグラムに自分が作ったサイトを載せていたことがきっかけで、地元のWeb制作会社の人から協業依頼のDMが届きました。死ぬほど嬉しかったです。
 

その後、会社まで足を運んで打ち合わせに。
 

こういった経験は人生で初めてだったので、会社に向かう途中めちゃくちゃ緊張していたのを覚えています。
 

そして、結果的に業務委託として契約してもらえることになり、そこから定期的にWordPressのコーディング案件をいただけることに。
 

その後は月10万20万と、収入に波はあったものの、徐々に「個人で稼ぐ」という感覚が掴めるようになりました。
 

同時に、自分のホームページ制作事業(制作費無料+月額1万円)も並行しつつ、サブスク収入もコツコツ貯めていきました。
 

ありがたいことに、親戚の知り合いから依頼してもらったり、インスタや事業サイトからも問い合わせが来るようになって、ようやくフリーランスとして軌道に乗り始めました。
 

SNSの情報をきっかけに、ジョージアへノマドデビュー

SNSの情報をきっかけに、ジョージアへノマドデビュー
 
ちょうどコロナ禍でした。
 

海外旅行なんてできる空気じゃなかったけど、「ここなら安く暮らせそう」という単純な理由で、これもまた勢いで飛び立ちました。
 

そして、ジョージア→トルコ→東南アジア各国を回り、気づいたらノマドライフを実現。
 

とはいえ、最初から満喫したノマドライフができていたわけではないです。
 

物価の安い国を選んだつもりでも、意外と生活コストはかかるし、1人で抱える案件、深夜の時差対応、街に出れば言葉も文化も全く通じない。
 

そんな色んな想定外があって、毎日どこかしらでバタバタしていました。
 

でも、ふとカフェで作業してるときに「今自分で選んだ場所で、自分の力で生きてるんだ」って実感する瞬間もあって、その時だけは不思議と全部報われるような感覚でした。
 

Xやインスタでの情報発信も、Web制作学習を始めた頃から欠かさず継続。
 

それもあって、こんな自分の働き方に共感してくれる人が現れたり、「自分も同じ道を目指してます!」ってDMをもらったり、それが何よりの原動力でした。
 

仕事の依頼も、SNS経由で徐々に届くようになりました。
 

「人と違う道を選択するだけで、こんなに興味を持たれるんだ」
 

ってことを、僕は身をもって実感しました。
 

あの頃、「就職」というレールから外れたり、「海外」に飛び出したり、不安や恐怖もあったけど、あの行動があったからこそ今の自分があると思っています。
 

「自分の意思で決断して、行動し続けて、本当によかった」って。
 

特別な才能もスキルもなかった僕が、今海外で自由に働けてるのは、ただ、「決断」と「行動」を繰り返してきたからだと思っています。
 

周りの人が踏み出せないことも、自分が先陣きって挑戦する。そして、その経験を発信する。成功しても、失敗しても、その経験は必ず大きな価値になるし、他人からも興味を持たれる。
 

もちろん今も、不安な気持ちがゼロになったわけじゃありません。
 

時代が大きく変化していく中で、同じことをただやっているだけでは生き残れない。なので日々学習し、挑戦し、色んな人と繋がる。そしてどんどん自分をレベルアップさせる。
 

こういったマインドで、現状に満足せず、僕は今後も挑戦し続ける人生を生きたいです。
 

今はタイのバンコクを拠点に生活🇹🇭

今はタイのバンコクを拠点に生活
 
海外ノマドをしていく中で、友達がたくさんできました。過去の自分には想像もできないくらい、今は友達に囲まれています。
 

みんな同じエリアに住んで、カフェで一緒に作業したり、ご飯に行ったり、旅に行ったりなど。
 

最近は、AIの進化がやばすぎることや、働き方が大きく変化していることを理由に、「今後どうすれば生き残っていけるか」をひたすら友達同士で話し合っています。
 

そして最近よく思うのが、「この時代に、“変わらないこと”の方がリスクかもしれない」ってこと。
 

AIの進化、海外との物価差、働き方の自由度、SNSで稼ぐハードル。色んなものが物凄い速度で変わっています。
 

それなのに自分が変化しなかったら、気づいた頃には取り残されてるってことも全然あり得るなと、正直たまに怖くなることもあります。
 

だからこそ、僕はこれからも変化し続けたい。
 

そしてその過程を、またこうして発信していきたいと思っています。
 

僕はもともと、「就職したくない」「日本社会に染まりたくない」という、ただのひねくれた理由で動き出しました。
 

スキルも人脈もゼロ。不安で夜も眠れなかったけど、それでも「自分で決めた道」だからこそ踏ん張れたし、走り続けられた。
 

今こうしてバンコクでノマド仲間と楽しく暮らせてるのは、あの時一歩踏み出した「過去の自分」のおかげです。
 

自分語りになってしまいすいません。
 

でももし、「今の生活を変えたい」と少しでも思っている方がいるなら、ちょっとだけ「勇気のいる行動」をしてみてほしいです。
 

その一歩が、想像もしてなかった景色に繋がることを、僕は過去の経験から自信を持って言えます。
 

この記事を読んだ方に、少しでも勇気を与えられたら嬉しいです。
 

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